3歳が死について語ったこと

ひなまつりが近づいたある日……

保育室に、大きな和紙に刷られた、七段飾りのお雛様の絵が貼ってあります。

「このひと、あかいおかおをしてるでしょ?」おやつの時間、おにぎりを食べている3歳の子どもたちに、右大臣のお話をしていました。

「みんなにあえてうれしくて、ビールのんだのかな?パパも、おかおがあかくなるでしょ?」

「パパはあかくならないよ。でも、れいぞうこにはビールがいっぱいだよ。はなむらさん、うちにあそびにきてもいいよ。」とけーちゃんが言う。

「ねぇ、けーちゃん!おおきくなったら、はなむらさんとビールのもうね!」と、言ったら、一緒にいた主任が笑いながら「17年後よ!」とわたしに言う。

「はなむらさんは、すご〜いおばあさんになってて、けーちゃんにつかまらないとあるけないかもねぇ?」と17年後のわたしのことを想って言いました。

「はなむらさん、しんじゃうかもね」突然、3歳のけーちゃんに言われて、ビックリ。

主任が笑いながら「はなむらさんは、げんきだとおもうよ」と言うと「はなむらさんとせんせいと、みんなしんじゃったらさ、ぼくさ、だまってここにきて、ひとりであそんじゃうんだ。」

そこからは、主任とけーちゃんのふたりで、けーちゃんがひとりで遊んじゃうことについての話になりましたが、わたしは他の子どもの食事の介助をしながら、黙って3才の子どもが持つ死の概念について考えていました。

この場に誰もいなくなることはわかっているんだね。そうだね、ひとりになるって、じぶんのやりたいことを、思う存分できることなのかもしれないね。もしも、そこに悲しみがなければ……。

3歳の子どもは、哲学のせんせい。平気な顔をして、わたしに大きな問いを投げてきます。